他人に知られず背徳感を味わう

  • 投稿日:
  • by

自分と他人との境界とは何か?
中学生くらいに倫理の時間で、そんな授業を受けた思いがある。
自我とは何か?「我思う、故に、我あり。」「コギト、エルゴ、スム。」
そう、そんなどこかの魔法の言葉のようなものに触れたことがあった気がする。

それでは他人を思う、故に、"何"となるのだろうか?
それが職場の嫌なヤツであれば、例えば"怒り"といった感情。
それが年老いた育ての親や愛しの我が子であれば、"愛情"。
それが隣の席の気になるアノ子であれば、"恋心"であろう。
通じてこちらの思いは相手には伝わらないものである。
もうそれは丑の刻詣りをしたり、たとえ怪しげな手つきと共に念をおくったとしても、である。
それほどまでに、自分のこと以上に他人というのは制御し難いものであり、
それであるからこそであろうか、より一層に、他人を自分の感情のままに動かすということには、一種の麻薬のような蜜の味が漂うのである。

他人をコントロールすると聞くといささか大げさか、いや、しかしながら町にはその手の読み物で溢れかえってはいまいか?
例えば、マーケティングという領域。
市場について理解し、どのような商品が望まれているかを探り、ヒット商品を生み出さんとする手法である。
様々な手法や理論が構築されているが、顧客という名の他人をいかに満足させるかという企業努力の方法を皆が知りたがっているわけである。
少し直接的に、しかしながら、学術的に例えるならば、心理学。
これこそ、ズバリ、である。
こちらの行動・刺激に対して相手がどう感じるか、どう反応するかについて動物学的・人間学的観点から解説してくれる学問である。
他人に心地よく仕事を引き受けてもらい自分はいかに職場で楽をして仕事をするか、いかに他の候補者を押しのけて気になるアノ子にアタックするか、
そんなことについて学べるというありがたい調べなのである。
歴史に学べば、権力にものを言わせた奴隷制度であったり、と、やはり有史以来、他人を支配するということはヒトとして持って生まれた欲望なのかもしれない。
そういえばあなただって、この世に生を受けてすぐ、ママの興味を引きたくて大声をあげて泣いたのではなかったか?

ではそんな欲望を誰もが抱いているこの世の中で、最も身近に存在し、手に入りそうで手に入らないものとは何であろうか?
なぞなぞではない。
それこそが、そう、人妻である。
他人のもの。そして、異性。
倫理的に許されないものに手を出そうとする背徳感があり、
かつ、一般的には支配を許されていない、してはいけないものを自分だけが誰にも知られずに、
その禁断の果実を味わうことを許されているという、一種の優越感を感じることができる。
人妻にはヒトとして、オトコに生まれたものにとって、抗いがたい誘惑が秘められている。
人妻のどういう部分が、といった断片的なものではもはやなく、存在そのもの、
概念そのものが、それはもう、魅力の塊なのである。